利島村の歴史History of Toshima

利島のできごと
国内外の主なできごと
1603(慶長8)

徳川幕府開府に伴い、伊豆諸島は幕府直轄領となる[年表]

  • 1603年 徳川家康、征夷大将軍に任じられる(江戸時代の始まり)
1606(慶長11)

関ヶ原の戦い(1600年:慶長5)で敗れた西軍の武将・宇喜多秀家、八丈島へ流刑となる[通史編245]

1618(元和4)

江戸幕府が伊豆諸島の検地を実施したとされる[通史編234、年表]

  • 1615年 大阪夏の陣(豊臣氏滅亡)
江戸時代
初期

この頃、ヤブツバキの実の搾油が始まる[通史編112・239]

椿の実
1670(寛文10)

在島代官(島代官)が廃止され、伊豆代官所から派遣された手代による統治となる[通史編219、年表]

  • 1702年 元禄赤穂事件(赤穂浪人46名、吉良義央を襲撃)
1706(宝永3)

利島に課せられていた絹年貢330反のうち200反分が金納となる[通史編235]

  • 1703年 元禄関東地震
  • 1707年 宝永地震
1714(正徳4)

「公裁秘録」に利島で流人3人が在住と記載される[通史編249]
※利島の流人に関する最古の記録

1716(正徳6)

喜兵衛ら3名が利島に流罪となる[年表]

  • 1716年 享保の改革始まる
1722(享保7)

4月15日 本家10軒、蚕屋18軒、小屋多数を焼く火災で養蚕業に甚大な打撃[通史編282、年表]

1723(享保8)

在島手代制が廃止され、地役人が島内行政を担当するようになる[通史編221、年表]
※ただし利島では地役人が置かれず名主が代行し、年寄2名と共に村政を担当する

1725(享保10)

年貢が全て金納となる[通史編258]
※養蚕業の衰微で絹年貢が免除されたが、以後も養蚕業は島の主要産業として続いている

1731
(享保16)
1751
(宝暦元)

大地震に伴う山崩れで桑木に被害があり、養蚕が大打撃を受ける[通史編258、年表]

江戸時代
中期以降

ヤブツバキを植林する椿畑栽培が利島に伝播(正確な年次は不明)[通史編125・260・1008]

ヤブツバキ
1756(宝暦6)

年貢金の代替として絹・薪などと共に椿油が納められる[通史編241]
※この頃から椿油の生産が展開し始める

1760(宝暦10)

阿豆佐和気命神社の社殿が建てられる[年表]

1782(天明2)

8月 廻島した幕府役人から、水不足解消のために井戸の掘削か溜井の造成を命じられる[通史282、年表]
※数年後に溜井は完成するがすぐに大雨で破壊される

  • 1783年 浅間山大噴火
  • 1787年 寛政の改革始まる
1796(寛政8)

5月 利島と伊豆大島、流人を送る島から除外される[通史編252、年表]
※本土からの距離が近く、島抜け(脱走)の恐れがあるためとされる

1800(寛政12)

この頃までに年貢の主力が椿油になる[通史編260]

1808(文化5)

代官下役橋爪頼助、対外国船防備の目的で伊豆諸島廻島、利島でも鉄砲・槍を支給し、備場所(防衛陣地)を定める[通史編341、年表]

1815(文化12)

9月14日-21日 伊能忠敬門下の測量隊、伊豆諸島測量の一環として利島の測量を行う[通史編231、年表]

1846(弘化3)

4月-6月 代官江川太郎左衛門、伊豆諸島防備のため利島を含む各島を見分、報告書・意見書を幕府に提出する[通史編348、年表]

  • 1837年 大塩平八郎の乱
  • 1841年 天保の改革始まる
1846(弘化3)

6月3日 ペリー率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀へ来航[通史349]
※このとき伊豆諸島の測量も実施しており、島民は黒船を目撃していたはず

  • 1867年 大政奉還(明治時代の始まり)

※「利島のできごと」中、[ ]内は『利島村史』の出典ページ。

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