徳川幕府開府に伴い、伊豆諸島は幕府直轄領となる[年表]
- 1603年 徳川家康、征夷大将軍に任じられる(江戸時代の始まり)
徳川幕府開府に伴い、伊豆諸島は幕府直轄領となる[年表]
関ヶ原の戦い(1600年:慶長5)で敗れた西軍の武将・宇喜多秀家、八丈島へ流刑となる[通史編245]
江戸幕府が伊豆諸島の検地を実施したとされる[通史編234、年表]
在島代官(島代官)が廃止され、伊豆代官所から派遣された手代による統治となる[通史編219、年表]
利島に課せられていた絹年貢330反のうち200反分が金納となる[通史編235]
「公裁秘録」に利島で流人3人が在住と記載される[通史編249]
※利島の流人に関する最古の記録
喜兵衛ら3名が利島に流罪となる[年表]
4月15日 本家10軒、蚕屋18軒、小屋多数を焼く火災で養蚕業に甚大な打撃[通史編282、年表]
在島手代制が廃止され、地役人が島内行政を担当するようになる[通史編221、年表]
※ただし利島では地役人が置かれず名主が代行し、年寄2名と共に村政を担当する
年貢が全て金納となる[通史編258]
※養蚕業の衰微で絹年貢が免除されたが、以後も養蚕業は島の主要産業として続いている
大地震に伴う山崩れで桑木に被害があり、養蚕が大打撃を受ける[通史編258、年表]
年貢金の代替として絹・薪などと共に椿油が納められる[通史編241]
※この頃から椿油の生産が展開し始める
阿豆佐和気命神社の社殿が建てられる[年表]
8月 廻島した幕府役人から、水不足解消のために井戸の掘削か溜井の造成を命じられる[通史282、年表]
※数年後に溜井は完成するがすぐに大雨で破壊される
5月 利島と伊豆大島、流人を送る島から除外される[通史編252、年表]
※本土からの距離が近く、島抜け(脱走)の恐れがあるためとされる
この頃までに年貢の主力が椿油になる[通史編260]
代官下役橋爪頼助、対外国船防備の目的で伊豆諸島廻島、利島でも鉄砲・槍を支給し、備場所(防衛陣地)を定める[通史編341、年表]
9月14日-21日 伊能忠敬門下の測量隊、伊豆諸島測量の一環として利島の測量を行う[通史編231、年表]
4月-6月 代官江川太郎左衛門、伊豆諸島防備のため利島を含む各島を見分、報告書・意見書を幕府に提出する[通史編348、年表]
6月3日 ペリー率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀へ来航[通史349]
※このとき伊豆諸島の測量も実施しており、島民は黒船を目撃していたはず
※「利島のできごと」中、[ ]内は『利島村史』の出典ページ。